マティス・リュシーについて

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マティス・リュシー(Mathis Lussy)は、1828年スイスのシュタンスで生まれました。12歳の時に父を亡くし、その後アベ・ブジンガーという音楽に精通した聖職者兼オルガニストに育てられ、彼に音楽への入門の手ほどきをしてもらいました。18歳の時にパリに行き、ブジンガーの薦めで多くの音楽家、アドルフ・アダム、エルワルト、シェヴェなどの門を叩きました。
その後ある修道院の教師になるように薦められ、40年間音楽の授業を受け持つ事となります。 
 1863年、35歳の時に初めての著書である「ピアノ教育法の改革」を出版しました。この著書が出版されるや否やピアノ教育の大家たち(リスト、タルベルク、モシュレス、マルモンテル、その他多くの巨匠たち)の注目を浴びました。1873年に出版した「音楽表現概論」は音楽教育に革命をもたらし、リーマン、ビューローの賛辞をうけることとなりました。この著作のもっとも興味深い部分はリズムに関するところであり、リュシーは1883年にさらにその章を発展させ「音楽のリズム」という著書を出版します。さらに1903年には「近代音楽におけるアナクルーズ」を出版し、ボルダン賞を受け、1912年には遺作となった「ベートーベンの悲愴ソナタ」を出版しました。この著書はリュシーの理論を実際の楽曲によって証明しようとしたものです。リュシーは、生涯をリズムと音楽表現の理論を探究することに捧げ、1910年82歳で亡くなりました。 
 リュシーの弟子にはリトミック創始者であるダルクローズなどがおり、ダルクローズはリュシーのリズムと表現の理論を基にリトミックを開発し成功を収めました。他にコルトーは直接パリのコンセルヴァトアールでリュシー自身からリズムと表現の理論を学び、ホロヴィッツラフマニノフは授業で、カザルス、ティボー、シュナーベルブゾーニバレンボイムは独学でリュシーの理論を学んだそうです。

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